今からお話しするのは、
私の小さなストーリー。
10年間仕事で自立できず
何の結果も出せなかった私が
絵の道で自分の力で歩いていけるように
なった物語です。
私は現在、墨絵師として
水墨画をベースにした絵画を描いたり
水墨画のレッスン指導をしたりという
活動を行なっています。
この記事では、
私が絵の道に進むことになった
いきさつと
私自身のこと・どんな仕事をしているか
について紹介したいと思います。
しばしお付き合いくださると
とても嬉しいです。
動物と観察と鳥山明さんが好きだった子供時代
昭和生まれ 大阪育ちの私は
ごく普通のややボケっとした子供でした。
動物や自然が大好き!
じーっと観察したり触れ合っている時間が
楽しくて仕方なかったんですね。
観察することでモノの仕組みを
「ああ、こんなふうになってるのか」
と発見すること・それを描くことが
楽しかったようです。
近所の犬に触れて遊びながら
「犬の足は人間の形と違うなあ」
と感じて、それをよく絵に描いたり
していました。
虫やトカゲ、カエルなど小さな生き物から
鳥、猫、犬・・・
とにかく生き物が大好きで
小さい頃からいろんなものを飼っていました。
ハムスター
ダルマインコ
十姉妹
文鳥
トカゲ・・・
小学生の頃は小さな生き物が主流。
さらにはエスカレートして
ニワトリや子猫や子犬など
捨てられていた動物を連れて帰る・・・
よくあるパターンですが
私がそれでした。
ニワトリには親もびっくり。
その上雄鶏だったので
早朝にコケコッコー!
で、マンション暮らしではとても飼えないし
農家さんに引き取ってもらったようです。
母方のおじいちゃんが
巣から落ちたカラスの子を連れて帰って
おばあちゃんに
「山に帰してきなはれ!」
と怒られたというエピソードを聞いた時
「これは血だな」
と思いましたね。
自分は動物と気持ちが通じ合うんだ
と本気で信じていたところがありました。
(今でもですね)
また、絵が好きな子に多い気質かも
しれませんが、
超マイペース。
自分の世界を持っていて1人でも平気。
むしろ、1人が好き!
この気質は今でも変わりません。
ものを観察して描き写すという作業は
いつしか漫画の模写に変わりました。
中でも
一番好きだったのが鳥山明さん!
漫画家に憧れたことも。
可愛い女の子やメカやロボット、
恐竜など鳥山ワールドの細かくてキュートな
キャラクターをひたすら、模写していました。
私の模写は単なるお絵描きではなく
クレイジーなくらい完璧を求めていたので
絵を描くための土台はこの時代に出来たと
言えるかもしれません。
鳥山明さんの世界観が好きすぎて
私もアラレちゃんのような
アンドロイドになりたい!
と憧れている
ちょっぴりオタク気質なところがある子供でした。
アラレちゃんの次は
アニメ「コブラ」のアーマノイド・レディに
憧れましたね!
強靭なボディと知性的でクールなレディ。
おかしなものですね・・・
自然や動物も大好きなんだけれど
ロボットやアンドロイドに興味津々。
真逆のような世界。
大人になった今でも
アンドロイドになりたい気持ちは
ずっと持っています。
アンドロイド界の権威、
石黒教授のファンです!
何より、昔も今もいつも
現実より絵の世界・空想の世界に
浸っているのが好きで、フワフワしていました。
私が作品に描くテーマも
動物や架空の生き物「龍」「鬼」などが
中心なのですが、それはきっと
頭の中が子供の頃からずっと変わらない
せいなのだと思います。
そんな私は、
普通に学生を経て大人になり、
フワフワと会社員になりました。
しかし、私は
組織に属せない人間でした。
子供の頃からいつも自分の自由勝手にしたい
何ごとも自分のペースでやりたい
というわがままさを持っていたのです。
周りの社会人たちの価値観に共感できず
居心地の悪さを感じることも。
そして私は
次の仕事の予定も、夢も、何もないまま
会社を辞めてしまいます。
母親が水墨画家で教室を運営していて
家に帰るといつも部屋は
墨の良い香りに包まれていました。
何のあてもなく突然会社を辞めた私に
お説教はありませんでしたが
それがかえって居心地悪く感じました。
やりたいこともなく
手に職もなく
結婚の予定もなく
お金もなく
人脈もコネも何もない。
逆に開き直って
わずかな貯金が尽きるまで
好きに過ごそう、と
考えていました。
そんなニートな毎日を送っていた私、
ミュシャの美術館に遊びに行った時のこと。
誰もいないガランとした館内で
ひとりでじっくり絵を見ていたのです。
おしゃれで華やかなミュシャは
大好き。
その繊細な線のタッチを見つめていたら
何かバチンとくる感覚がありました。
唐突に、
「わたし、描かな」
と感じたのです。
(描かな=「描かねばならない」の省略形)
※大阪弁
「線の魔術師」と呼ばれる
ミュシャの繊細なタッチが
漫画を一生懸命模写していた
子供の頃の自分を思い出させてくれた
のでしょうか?
そして帰宅後、母に唐突に
「絵を描こうと思う」と話すと
「うち(の水墨画教室)で描きなさい」
と返されました。
これまで、絵の道を薦められたことは
一度もなかったのですが
「これはチャンスだ」と思われたのかもしれません。
そして水墨画の道へ
この時点ではまだ絵を
仕事としては考えてはいませんでした。
でも他に技術があるわけでなし、
笑えるくらい何も持っていない私です。
あとには戻れないのだからと覚悟を決めて
目の前に開かれた水墨画の道を進もうと
筆をとり描き始めました。
周りの生徒さんたちと私の立場は
違うと確信していたので
「古株の生徒さんの描いた量を超える!」
と、母に宣言し、毎日毎日描きました。
いちいち宣言する必要はないだろう
と思うのですが
思いついたことを
『俺めっちゃいいこと考えた!』
といちいち自慢げに宣言する男子小学生
いましたよね。
それかもしれません。
男子小学生な私は
スピーディなタイプではなかったけれど
全員を追い抜いて1番になるんだ、と
静かな闘志を燃やしていたのです。
やるなら負けたくなかったのです!
絵は、
勝ち負けではないのですけれどね。
そんな時に、転機が訪れます。
絵の道に進んで半年くらい経った頃。
ボスが体調を崩し、
私がいきなり名代(代理)として
レッスンに出ることになったのです!
相当な練習量はこなしていたものの
指導経験はない私でした。
生徒さんの前で初めての手本実演。
極度の緊張でのブルブルと震え出す手!
「あー!
手が震えています!!」
思わず口に出ていました。
そんな私をみんなが笑ったので、
ホッと脱力しましたね。
それからの日々は、ボスである母親とともに
教室で水墨画を指導することが
私の仕事となりました。
着々と実績を積み上げるが・・
水墨画を始めた頃の私は、
広く表現方法を学ぶためにと、
ボス(母)の知り合いの水墨画の先生の
レッスンにも通いました。
水墨画といっても人によっていろんな画風が
あるからです。
水墨画塾では
ボスとは全く違う墨の表現方法を学びました。
あちこちでグループ展を開催し、
海外(チェコ・プラハ)で作品展示の
チャンスも頂いたりしました。
ボスが郷里のお寺の本堂の天井画を
依頼された時は、
その龍の天井画制作補助をしました。
龍本体をボスが描き
雲などの背景の部分のほとんどを
私が任されました。
通称ボカシと呼ばれる背景処理の作業は
「ボスより私の方がスキルが高い」
と認められるほどになっていたからです。
めちゃめちゃ大変でしたが、
この巨大な天井画の制作は
すごく貴重な経験となりました。
完成を祝う落慶法要には、
大阪から生徒さんたち一行バス2台という
大所帯で賑やかに向かいましたね!
また、講師としての活動にも
力を注いできました。
ボスの代理として震える手で
初めての指導をした日と同じ時期に
自分自身の教室も開設し教え始めました。
「人に教える」という経験は
とてつもなく大きな価値があります。
数々の教室を引き受けるようになり
とても大変でしたが
生徒さんたちが絵を楽しまれる様子を
みて、励みにもなったし
もっと頑張ろう!と思えました。
アーティストって・・・?
絵の道に進んだ私は、さまざまな経験を経て
技術と経験を確実に身につけていきました。
でも数年経ったある日、
事件が起こります。
ボスと私は何かで言い争いになり
キレたボス(母)から
ほっぺたをバチーンと叩かれ
「この数年間で、
お前がいったい何をした?!」
と怒鳴られました。
自分ではそれなりにやっているつもりだった
私は、非常にショックを受けました。
ひたすら絵を描いて
生徒さんに指導して
教室も楽しく
順調に自分も成長している気に
なっていたのです。
しかし、
絵(芸)の道で生活するということは
決して甘いものではありません。
しかも、私はいわゆる世間でいう
2代目という立場でもありました。
改めて考えてみると、
正直私には
絵の世界で今後
自分自身が生きていくために
「どうやっていくべきなのか」という
具体的な将来設計が、まるでありませんでした。
そんな私はボスから見れば、
絵を描くことが楽しいだけ
親の作った道をラクに歩いているだけ
プロ意識に欠けた素人同然
甘えるな!
ということなのか、と思いました。
子供の頃から好きな絵の世界。
でも楽しいだけでは生きていけない。
私はどうしたらいいんだろう。
その頃からボスとの関係性もモヤモヤと
すっきりしないものになっていきました。
・・・・・誰にも相談できない。
絵を描く人はたくさんいるものの
私の周りにプロの画家の知り合いは
1人もいません。
そういった同業者との交流も
私には欠けていた部分でした。
自分の抱えている問題を
どう処理すればよいかわからなくて
1人でずっと悩み続けました。
明るかった私は心を閉ざし
絵を描く意味がないのか。
私にはこの仕事は向いていないのだろうか。
と思い始めました。
私が本当に望んでいたこと
そんな時、ある出来事が起こります。
ネットを通じて私に、
仕事の依頼があったのです。
それは
「会社のロゴデザインを作ってくれませんか」
という内容でした。
ロゴのデザイン?
なぜ私に?
グレーな毎日を送っていた私は、
困惑するよりもむしろ
初めてのことにちょっぴり
心が動きました。
私は思い切って依頼を受けました。
そして、
私が墨と筆を使って製作した
会社のロゴデザインは
気に入ってもらえて、買い取って頂けたのです。
衝撃的に嬉しかった!
ボスに叱責されて以来・・
私は
自分のすべてを
否定されたような気持ち
になって、ずっと殻に閉じこもっていました。
だけど、
私の表現するものを
好きになってくれる人がいる!
この小さな出来事は、私が再び
「絵を描こう」
と思えるきっかけとなりました。
自分で歩いていくためには
自分で自分の道を作らねば!
と考えた私は
自分独自の着眼点で水墨画の技術を
研究し始めました。
子供の頃から得意だった「観察」を武器に
ひたすら絵を描く人の運筆を鋭く見つめ
学び続けました。
それまでは
「絵の技術を磨く」
「それを人に指導する」
という、自分発信の方法を愚直に
やり続けてきたのですが・・・
もっと「描く人自身」をよく見ないとダメだ、
ということに気が付いたのです。
人はロボットではない。
感情があって、それに影響されて生きている。
そして、クセがある。
このクセというのは「筆跡」と同じで
描く人の描きグセのようなもの。
さらに、クセはパターン化している!
そのパターンの発見が私の指導方法の
改革となる鍵でした。
それらに着目して教え方を工夫してからは
相手の悩み・つまづくポイントがわかり
自分の思い通りの指導が
できるようになりました。
私がスムーズに指導するようになったことで
「シンプルに絵を楽しみたい人」
「じっくりと技術を学びたい人」
その両方の人たちが
レッスンでより満足感を感じてくれる
ようになっていきました。
「べべロッカ先生の説明わかりやすい」
と言う声を聞けるようになったのです。
嬉しい・・・・・
この嬉しいという気持ちを胸に
そうやって少しずつ
自分が信頼されているという実感を得て
自信がついていきました。
そして、
技術を伝えることに関して
“負けない”
という強い初心を
持てるようになっていきました。
この、負けず嫌いな気持ちは
私の人生でたびたび登場するもの。
いつも私に戦闘本能を思い出させて
前を向かせてくれる心の中の炎のような存在。
誰にも負けないという気持ちだけで
ずーっと1人で絵を描いてきました。
1度は打ちのめされて、
逃げ出そうかと考えました。
私が負けたくない相手は、
それは自分自身だったのです。
自分の経験(道)を作っていく
また、いろんな場所で
「龍の墨ライブ」という活動をしてきました。
墨ライブで描く絵は巨大な龍!
架空の生き物であり
水の神様でもある龍。
生き物が好きな私にとっては
実在も架空も関係ありません。
描いているときは心底ハッピー。
大きな絵を描くことで新たな技術が身につき
大勢の人の前で描くことで度胸もつきましたね。
レンタルスペースを借り
期間限定の、小さなお店を開いたことも。
初めてのことだらけで大変だったけれど
グッズを作り
絵画作品も展示販売しました。
小さなお店には、生徒さんはもちろん
ご近所の方々をはじめ多くの皆さんが訪れて
商品を買ってくださいました!
YouTube動画も作っています。
水墨画3分動画を100本
連続して作った時のこと。
そのときもそういえば
私はボスに宣言しました。
「YouTubeで動画100本作る!」
そしてその後に号泣しました。
(↓画像クリックでYouTubeに飛びます。)
なぜ泣いた?!
うっすら覚えているのは・・
「うう・・100本・・・・つらい・・!
これから大変な日々が始まるんや・・
つらい・・・・!」
こんな感じでした。
こういう涙もあるんですね。
でも
何事も大変そうな時は
始める前に泣いておけばスッキリ!
スムーズに始められるんですよ!
とはいえ、誰にでもおすすめ・・とは言えないかも。
唐突な宣言と号泣に
ボスはポカーンとなっていましたからね。
べべ・ロッカの夢
絵の道に進んで十数年経ちました。
こんな私には、夢があります。
それは、私の作品の中のキャラクターを
共演させた絵を作ること。
これまでにも登場させたことはありますが
もっと増やして、私の想像(創造)の世界で
子供の頃から好きだった
動物たちの王国を作りたいのです。
多くの画家さんは、まず自分の作品を
作るところから始まります。
そして、
公募展に出品したり、グループ展、個展、
さらに絵画教室を運営されたり、と
活動の場を広げていかれると思います。
私の場合は逆でした。
まず現場(絵画教室)で教えるための
水墨画の技術を身につけて
指導者の資格を得て
多くの人の指導・添削の経験値を
積んできました。
(添削作品数約49,000点)
グループ展・親子展などは経験しましたが
個展はまだ開いていません。
なので創作活動の方では
これから少しずつ私の絵を描いて
王国を作っていきたい!
そう思っています。
人生は短いです。
子供の頃から好きだった世界を
絵で表現する。
それが最終ゴール。
宣言したら、あとは号泣して
描くのみですね。
ひょっとしたら・・・いつか
私の憧れのアンドロイドも・・
ロボットも登場するかもしれません!
まとめ
ここまで読んでくださってありがとうございます。
このサイトでは、
「絵を観ることが好き」
「水墨画に興味がある」
「水墨画を始めてみたい」
そんなあなたのお役に立てるような
情報を発信しています。
YouTubeチャンネルでも
描き方動画を配信しています。
こちらも楽しんで頂けたらうれしいです。
それでは、また!
こんにちは。
墨絵師のべべ・ロッカです。