日本が世界に誇る芸術、浮世絵。
海外でも人気の浮世絵ですが、有名な作品がたくさんあって、どの作品がどの浮世絵師の作品だか・・・ゴッチャになってしまいがちですよね。
『超有名なあの浮世絵、誰が描いたの?』
ということで、気になる有名な浮世絵を作者とともに紹介したいと思います。
素晴らしい浮世絵はホントにたくさんありますが、今回は「これは知っておきたい!」というものにスポットを当てました。
あなたの知っている作品は、あるでしょうか〜!?
目次
菱川師宣(1618-1694)
菱川師宣、聞いたことがありますか?
浮世絵の創始者とも言われている人物です。
菱川師宣の有名作品「見返り美人」
この菱川師宣の「見返り美人図」は肉筆画です。
肉筆画とは、絵師が筆で直接描いたもの。
いわゆる一般的な絵画です。
肉筆画はこの世に1枚しか存在しない作品となるためとても高価なものでした。
一方、浮世絵はほとんどが木版画という大量生産できる技術で作られたものなので、一般庶民にも広がりました。
「浮世絵」というものをこの世に誕生させた
菱川師宣は、北斎や歌麿など、浮世絵をよく知らなくても名前だけは聞いたことがある!というくらい有名な絵師に比べると知名度が低いかもしれません。
でも、彼の残した功績はとてもとても大きいものなのです!
浮世絵が世に出るまでは、絵画というものは、富裕層など特権階級だけが楽しむ特別なものでした。
江戸時代になると印刷技術が発展して、日本で初めての民間の書肆(本屋さん)が登場し、さまざまな本が出版されるようになります。
そんな中、菱川師宣は、はじめ版本の挿絵を描いていました。
「挿絵」は書物の添え物に過ぎなかったのですが、工夫を重ね、やがて挿絵ではなく絵だけを独立させた「一枚絵」を完成させます。
これが浮世絵の始まりでした。
一枚絵は印刷によって大量生産できるため、一般庶民も手に入れやすい安価なものとして大人気となるのです。
「特別な一部の人だけのものだった絵画の存在を、一般庶民に広めた」
という大きな改革・功績です!
鈴木晴信(1725-1770)
鈴木晴信の作品は、残念ながらほとんど日本には残っていません。
多くの浮世絵がそうであったように、明治維新の大改革の時に、海外に流れていってしまったからなのですね。
鈴木晴信の有名作品「夕立」
鈴木晴信の描く美人画は、ほっそりとした華奢なスタイルが特徴と言われています。
この作品の右下に、画工・彫工・摺工と、3名の名前が記されていますよね。
画工(絵師)というのは、作品の下絵を作る人(この作品では鈴木晴信)。
彫工(彫師)というのは、下絵を版木に貼ってその絵の通りに彫る人。
摺工(摺師)というのは、版木に絵の具を広げ和紙に摺る人。
木版画で制作される浮世絵は、直接描く肉筆画と違い、3人の職人によって分業で作られるものなのです。
*厳密には、絵師に「こんな作品を描いてほしい」と企画を考える「版元」がいます。総合プロデューサーのような存在ですね!
(版元例:蔦屋重三郎・・・江戸時代最も有名な版元。世の中の流行を常にキャッチし、人々の求める絵画を提供した。才能ある絵師を見出したり、育てたりした。)
錦絵の手法を開発した
鈴木晴信は、最初に「錦絵」の手法を開発した浮世絵師である、と言われています。
浮世絵は通常、木版画で制作されますが、元は墨一色のものからスタートしました。
「錦絵」は浮世絵の一種なのですが、多い時で10色以上も色を重ねる多色使いで精巧なものです。
錦織(金や銀の糸で縫われた華やかな織物)のように美しい=「錦絵」と呼ばれるようになりました。
錦絵の登場によって、のちの浮世絵がますますゴージャスに派手に面白くなっていきます!
江戸時代、裕福な町衆が資金面でバックアップしたため、芸術文化は大きく発展しました。
鈴木晴信の錦絵の開発も、芸術を支えよう!という粋なパトロンの存在があってこそだったのですね。
喜多川歌麿(1753-1806)
喜多川歌麿は、海外でも北斎や広重と並んで、美人画で評価の高い絵師です。
吉原の花魁、遊女、またごく普通の、町で働くいろんな女性を描きました。
喜多川歌麿の有名作品「寛政三美人」
歌麿は、「大首絵」の美人画を多く描きました。
「大首絵」とは、人物の上半身から上を描くスタイルの浮世絵です。
顔の豊かな表情などがクローズアップされるわけですね。
今では当たり前の構図ですが、当時は女性の絵といえば全身像や風景と一緒に描かれるのが一般的だったので、歌麿のバーン!と女性を大きく描いた美人画はとても画期的なものだったのです。
この作品のモデルは実際に存在した人物です。
こんなふうにさまざまな女性をモデルに描きましたが、絵にすることでアイドル的な人気を得たりしたそうです。
美人画といえば歌麿
ちなみに、浮世絵の美人画ってみんな同じ顔だなあ〜と思ったことありませんか?
それはなぜか。
美人という名の通り、当時の女性の絵は「こんな女性が素敵だな」という憧れが描かれています。
また、ヒットした作品の絵を真似するため、なんとなく皆似たような同じ顔になってしまったということなのです。
しかし歌麿は、顔を細かく描き分けたり、表情や手など細部に至るまでより丁寧にリアルに描き切りました。
歌麿は、江戸時代の名プロデューサー蔦屋重三郎との出会いによって、出世しました。
2人で夜ごと、遊女の元へ出かけ、女性研究にいそしんでいたようです。
↓後述する映画の中では、歌麿役は玉木宏さんでした。
東洲斎写楽(生没年不明)
正体不明。
いきなり登場し、ほんの10カ月ほど活躍して、またスッと姿を消した・・・・
東洲斎写楽はミステリアスな謎多き絵師です。
東洲斎写楽の有名作品「三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛」
謎だらけのミステリアスな浮世絵師、写楽は、「大首絵」の役者絵を得意としました。
この「三代目大谷鬼次〜」という作品は・・・あらゆるシーンで使用されたり、時には面白おかしくデフォルメされたりして、すごく有名ですよね。
この手がとってもユニーク!
歌舞伎をはじめとするお芝居は、町人の娯楽のひとつでした。
当時人気であった歌舞伎役者を描いた「役者絵」は、人気の歌舞伎役者を描いたブロマイド、あるいはポスターとして楽しまれたのですね。
個性的!ゆえのメリットデメリット
正体不明の写楽、現代では「この人物では・・?」と正体がほぼ確定しているようなのですが、今も昔も、アーティストは話題作りやPRなど演出もとても大切。
当時の出版界のドンであり名プロデューサー、蔦屋重三郎の仕掛けた演出だったのでしょうか?
写楽は彗星のように現れ、またたくまに人気絵師となり、1年足らずの間に作品を残し、あっという間に消えた絵師です。
消えた理由は、役者からのクレームでした。
絵は写真と違い、演出することができます。
つまり、美しいものはより美しく、そうでないものも美しく、いくらでも加工することができるのですね。
人気役者はみんなのアイドルですから、当然憧れの存在でいなくてはならないのですが、写楽の絵の特徴は、ありのままの姿をさらに誇張させるような表現方法でした。
そこが個性であり魅力なのですが、残念ながらモデルたちから文句が出ては、仕方ありませんね。
いっときは他の多くの芽の出ない絵師と同じように忘れられ、作品も安価に扱われていました。
日本国内では、評価されていなかったのです。
ところが、海外で洒落の絵を高く評価する人が現れ、人気が出たことで状況は大逆転しました。
逆輸入で人気が出るパターンは、日本あるあるですね。
写楽の個性が、海外の人たちの感性にマッチしたということだったのでしょうか。
葛飾北斎(1760?-1849)
世界で最も有名な日本人、葛飾北斎。
90歳まで生きた長寿であったこと。
生涯で引っ越しを90回以上したこと。
雅号(画家がつける別名)が30個もあったこと。
絵の天才は、とにかく本人のエピソードも豊富で、面白い!
それより何より・・・絵がすごい!
葛飾北斎の有名な作品「神奈川沖浪裏」
北斎は、1998年にアメリカのLIFE誌が企画した「この1000年で最も偉大な業績を残した世界の100人」の中に、たった1人選ばれた日本人であるということでも有名です。
この「神奈川沖浪裏」という作品も、「The Great Wave」という名で世界中に知られていますね!
「神奈川沖浪裏」は、富嶽三十六景という、富士山を作品に描いたシリーズの中の1つです。
北斎の魅力がパーンと花開いたような作品ですね。
そのころの日本で旅行がブームとなり、各地の名所を描いた風景画が人気となったのです。
ちなみにこの絵を描いたのは、60歳を超えてからです。
え!60歳?!と思いますが、個人差はありますが画家の円熟期は年を重ねてからやってきます。
その時にどれだけ体力を温存できているか。
北斎が長生きだったのは、死ぬまで絵に対する情熱が失われなかったことが一番の理由だったのではと思います。
ミスター浮世絵
浮世絵といえば、何を思い浮かべるのか。
ほとんどの人が北斎の名前であり、頭に浮かぶ絵は、北斎の富士山ではないかと思うのです。
北斎が日本でも有名で人気なのは、日本あるあるの「海外で評価されたから好きになる」だけではないと思います。
北斎の絵が、私たちの心のど真ん中に響く、ソウルフードならぬ、ソウル絵画だからじゃないかなと想像します。
ちなみに、葛飾北斎の生涯を描いた「HOKUSAI」という映画があるので、北斎ファンの方、浮世絵好きな方はぜひ観ていただきたい。
北斎役は、
青年期〜壮年期=柳楽優弥さん
老年期=田中泯さん
どちらも・・・・すごく素敵でいい味です!
内容については申しませんが、ひとつだけ・・
阿部寛さん演ずる蔦屋重三郎が、柳楽優弥さん演ずる北斎に、世界地図を広げてみせて江戸はこんなにちっぽけで、世界はこんなに広いんだと話しながら言ったセリフ。
「絵を見るには、文字や言葉は関係ねえ、面白えもんは誰が見たって面白えんだ。」
この時代、日本は鎖国状態でしたからね。
貧しいけれど活気があって、幕府の締め付けにも負けず、芸術や文化が元気な江戸時代に、憧れます。
Amazonプライムビデオでも視聴できますよ。
歌川広重(1797-1858)
北斎を浮世絵師ナンバーワンのように表現していますが↑、そこはもう許してください。
ただ、北斎のライバルとして肩を並べるのは、この方しかいないと思います。
歌川広重は、風景画をメインに描きました。
歌川広重の有名な作品「大はしあたけの夕立」
北斎の「富嶽三十六景」シリーズと並んで人気かつ有名なのが、広重の「東海道五十三次」シリーズではないでしょうか。
と言いつつ、紹介した作品は、「名所江戸百景」の中の1枚です。
個人的に、雨がザーザー降っている絵、好きなんです。
広重の風景画には、日本人が共感できる「情緒」や「品の良さ」などを感じます。
この「大はしあたけの夕立」はゴッホが模写していますね。
え!あのゴッホが?!
そうなんです。
浮世絵は海外の画家にも大きな影響を与えました。
評論家よりもむしろ現役アーティスト=同業者の評価は、もっとリアリティがあって信頼できるような気がします。
さらに、西洋でも東洋でも、画家は昔から「スゴイ!」と思ったらすぐ模写して研究。
何でも技術を磨くにはまずはマネから、は基本ですよね。
その素直な感性・探究心がさらに、その方の作品をレベルアップさせてゆくのでしょうね。
ミスタージャポニズム
(↓この記事のアイキャッチになっている画像は、東海道五十三次の「蒲原町」です。)
広重の作品は、海外でもとても人気が高く、19世紀後半のヨーロッパの美術界で起こったジャポニズムブームのきっかけになったとも言われます。
また私見なのですが、北斎の作品が万国共通の絵画だとすれば、広重の作品は、「ザ・日本」として憧れられる秘密があるのでは・・と思います。
もちろん、それぞれ逆転しても同じ要素はあると思うのですが、広重の風景画には、完成度の高さと日本をギュッ!と凝縮したように感じる魅力があるのです。
だから、日本人には懐かしく親しみやすく安心する温かみがあり、海外の人には、日本の美しさがスーッと感じ取れる・・・懐が大きく、不思議な魔力ですね。
歌川国芳(1798-1861)
生粋の江戸っ子、歌川国芳。
彼は猫が大好きで、実際にたくさん飼っていたそうです。
若いころから絵の才能を発揮し、豪快で洒脱でユニークな作品を数多く描きました。
大の猫好き!国芳のオモシロ可愛い猫の作品をコチラで紹介しています↓
歌川国芳の有名な作品「相馬の古内裏 妖怪がしゃどくろと戦う大宅太郎光圀」
この大きなガイコツの絵は、目にしたことがある人も多いはず。
一度見たら忘れられないインパクトです。
この作品は一体どういう内容なのかというと・・・
ヌーっと現れたガイコツの規格外の大きさは、まるで巨人!
この絵は一体どのような意味があるのでしょうか?
この作品は、山東京伝(1761-1816)という、江戸時代後期に活躍した戯作者の読本「善知鳥安方忠義伝」の中のワンシーンを描いたもの。
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平将門の娘である「滝夜叉」と弟の「良門」は、亡き父の無念を晴そうと相馬の古内裏に棲みつき、妖術を身につけて悪巧みを企てます。
妖術で妖怪が集まるようになり、その噂を聞きつけた源頼信の家臣「大宅太郎光圀」がやって来て、妖怪を退治します。
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・相馬の古代裏・・相馬小次郎(=平将門)が下総国に建てた屋敷。将門の乱のあと、荒れ果てて廃屋となりました。
・妖怪がしゃどくろ・・日本の妖怪。「戦死」や「野垂れ死に」などで、きちんと埋葬されなかった死者たちの骸骨・怨念が集合して誕生した、巨大な骸骨のオバケのこと。
夜中にさまよい歩き、生きた人間を襲い食い殺すと言われている。
※「がしゃどくろ」は、日本の妖怪として認定されているようで、国芳のオリジナルということではありません。漫画・アニメ・ゲームなどのメディアにもしばしば登場するようです。
山東京伝の原作では、ガイコツは数百であったそうですが、それを国芳は巨人(すでに人ではないですが)化させたわけですね。
また巨大ガイコツの描き方は、西洋風の立体感が感じられますね。
表現力とユーモアのセンス
何でも描けた国芳は「戯画」や「判じ絵」も得意としました。
戯画とは、誇張したり風刺や皮肉をこめて描いた絵。
判じ絵とは、絵を見てそれが何を示しているか当てる、多くは語呂合わせやクイズのような遊びの絵です。
でも、「ああ〜いずれにしても遊び感覚のおふざけの絵ってことね」と軽く思うのは間違いです。
人や生き物を描くためには、イキイキとしたリアリティが必要です。
リアリティと言っても、ただ見たままをそのまま描くのではなくて、時に引き算をしたり、時に大げさに足し算をしたりと、バランスをとりながら「そのものらしさ」を表現することがとても大切なんですね。
本当に上手い絵描きは、このバランス感覚が優れているのだと思います。
国芳は、遊び心のある絵をたくさん描いたので、一見忘れがちですが、めちゃめちゃ絵が上手いのです。
何でも描けるし、何でも上手だし、ユーモアのセンスもある。
そして大の猫好き。
この器用さと情熱は、北斎に並ぶものではないかと、密かに思っています。
(北斎も面白い絵をたくさん描いていましたね!)
まとめ
今回は、7人の浮世絵師を、それぞれ代表的な作品とともに紹介しました。
浮世絵は本当に奥が深く、面白いものですね。
浮世絵には、肉筆画と木版画の2種類があります。
鑑賞できるのは、ほぼ木版画の方でしょうね。
また版画なので、実物を目にしたら「あれ、意外と小さい?!」と驚くかもしれません。
でもその決まった枠に収まった、美しくて魅力的な世界は、肉筆画でなくてもずーーっと眺めていたくなるような、不思議な魅力があります。
さて、あなたのお気に入りの浮世絵はありましたか?
それでは、また。
こんにちは。
墨絵師のベベ・ロッカです。