今から500年ほど昔の室町時代に、
日本人水墨画家として活躍した
雪舟という人物がいます。
禅僧として中国へ渡り、本場の水墨画に
刺激を受けて帰国後、数々の作品を
描くことで独自の水墨画ワールドを
花開かせました。
その功績は、狩野派をはじめとして
多くの画家たちに影響力を与え
謎の多い生涯とともに、今も日本だけでなく
世界中で人々の興味を惹きつけてやみません。
タイトルを聞いてピンとこなくても
絵を見れば「あ、知ってる」という作品も
あるかもしれません!
また、作品が描かれた時の雪舟の年齢など
にも注目してみてください。
雪舟が活躍したのは、60歳以降から。
つまり国宝作品は、不明のものもありますが
60代から80代という年代で
作られているのです。
絵を描くことは非常に体力を使いますから
すごいバイタリティですね!
今回紹介するのは、
・国宝6点について
・雪舟について知りたいこと4つ
①何をした人か
②いつの時代の人か
③作品の特徴
④涙でねずみを描いた話
という内容です。
ではまず
国宝6つを紹介していきたいと思います。
目次
【水墨画家・雪舟】有名代表作|国宝6点
雪舟の水墨画作品のうち
国宝指定されている代表作品は次の6点です。
②山水図(破墨山水図)
③慧可断臂図
④天橋立図
⑤秋冬山水図
⑥山水図
雪舟の作品は山水を描いた風景画が多いので
「山水」が付くタイトルが多いですね。
6つのうち、③の慧可断臂図だけが人物を
描いた作品です。
では順番に作品を紹介していきます。
【雪舟の国宝】①四季山水図巻(山水長巻)
・サイズ:縦39.8cm×横1,580.2cm
・素材:紙本墨画淡彩
・所蔵:山口県「毛利博物館」
・描いた時の雪舟の年齢:66歳くらい
上の図は、ほんの一部分です。
全体でヨコおよそ16メートルほども
ある大作です。
春夏秋冬をあらわす四季の風景が
描かれており、さぞ時間をかけて・・・
と思いきや、力強い線や逆にヘロヘロな
脱力した部分もあったりと、研究者の
間では「意外と短時間で制作されたのでは」
と推測されているようです。
かつてある水墨画家の先生の塾生だった頃。山口出身で雪舟を敬愛しておられる先生の提案で、「塾生みんなで雪舟の四季山水図巻を模写しよう」という企画がありました。
【雪舟の国宝】②山水図(破墨山水図)
・サイズ:縦147.9cm×横32.7cm
・素材:紙本墨画
・所蔵:東京都「東京国立博物館」
・描いた時の雪舟の年齢:76歳くらい
・賛者:雪舟自序、月翁周鏡、蘭坡景茝、天隠龍沢、
正宗龍統、了庵桂悟、景徐周麟
この作品には、雪舟自身によって書かれた
題があり、弟子の宋淵に与えたものと
されています。
題の中に「破墨」の言葉があるため
破墨の技法を使った山水図=破墨山水図
ということで知られています。
このように下部に水墨画を描き
上部に絵にちなんだ漢詩などを書くお軸の
スタイルを「詩画軸」といって
日本の禅僧のあいだにも広まったそうです。
これが転じて「自画自賛」という言葉が、自分で自分を褒めるような意味になったそうです。
※『破墨山水図』の例では・・・
雪舟自序=雪舟自ら記した題、文章があるということ(この作品の場合弟子にプレゼントしたものなので、弟子に向けた言葉ということでしょうね)
月翁周鏡を含む6僧賛=6人の高僧による言葉があるということ(偉いお坊さんにもサインを頂いたのですね)
となります。
昔の習慣として、自画像を描いたりして、それを弟子に与える際に何か一筆書き添えるということがあったようです。どんな内容なのか知りたい気がします。
【雪舟の国宝】③慧可断臂図
・サイズ:縦183.8cm×横112.8cm
・素材:紙本墨画淡彩
・所蔵:愛知県「斎年寺」
・描いた時の雪舟の年齢:77歳
雪舟の国宝作品の中でも、ずば抜けて
印象的なのがこちらの「慧可断臂図」です。
この作品の所蔵は、愛知県の「斎年寺」
ですが、このお寺にあるのはレプリカで
原画は京都の「京都国立博物館」に
寄託(預かってもらってる)しているそうです。
この作品はサイズを見ると結構大きく、
およそタテ1.8m×ヨコ1.1m。
ということは、描かれている人物は
ほぼ実寸大くらいじゃないでしょうか。
雪舟独特のカーブを描くゴツゴツした穴あき岩のような壁面も、達磨を飲み込もうとしている顔みたいに見えるし、慧可というお坊さんも自分で切った手首を持ってるし、2人の顔は険しいし、めちゃめちゃホラーじゃないですか。
なのに、ゾッとするような怖さは全くなくて、何かマイルド感に包まれているのは、この達磨の衣服のタッチのせいだと思うのです。
絵画というよりかは、漫画的、デザイン的な印象です。
達磨の衣服の白もベターと塗られているようで、違和感と共にアクセントとも感じられます。
この衣服の描写のせいでボワッと浮いたように見える達磨と、重なり合う穴空き雪舟岩とがとても対照的だと思いませんか?
ミステリアスな空間(遠近感)が面白く、すごく好きな作品です。
【雪舟の国宝】④天橋立図
・サイズ:縦90.2cm×横169.5cm
・素材:紙本墨画淡彩
・所蔵:京都府「京都国立博物館」
・描いた時の雪舟の年齢:81〜86歳くらい
この作品は、
実在する風景=実景を描いた絵「真景図」
と呼ばれるものです。
「真景図」が盛んに描かれるように
なったのは、江戸時代とされていますので
雪舟の生きた室町時代でこのような絵は
非常に珍しいものであったと考えられます。
誰のためにどのような経緯で描かれたのか
80歳を過ぎた雪舟がどのようにして
このような上から見下ろす絵
(しかも実際の風景)を描くことが
できたのか、わからないことだらけの
謎が多い絵とされています。
この絵はなんと上空数百メートルから見た視点で描かれた状況らしいですね。
面白いなと思ったのは、画像では分かりづらいのですが、手前を濃く、遠くを薄く、という遠近感を出す技法があちこちで使われているんです。
でもおそらく寺院や町並みの場所や様子は、実在する建物に忠実に描かれているのだろうなと思います。
だから風景画としての楽しさも味わえるんですね。
【雪舟の国宝】⑤秋冬山水図
・サイズ:縦64.3cm×横29.3cm
・素材:紙本墨画
・所蔵:東京都「東京国立博物館」
・描いた時の雪舟の年齢:?歳
1998年長野オリンピック公式ポスターや
切手のデザインとしてこの
『秋冬山水図(冬景)』が選ばれたことで
雪舟の作品の中でも有名な絵です。
描かれた年ははっきりとわかっていませんが
おそらく晩年であろうと言われています。
雪舟岩(真っ黒い線でゴツゴツとカーブを描く)スタイルで描かれていますが、やや全体的にはマイルドな印象です。それよりも、この突如現れた黒いタテ一筋線によって、世界が割れています!
この黒々とした線により分けられた空間は、左奥の世界をバーチャル的な印象に仕立て上げているようです。夢か幻か建物のバックにそびえる山は線描きなのに、その手前には片ぼかしの山がポッカリ浮かんでいます。
この黒いタテ線は、まるで時空を引き裂く魔法の筆で描かれたよう。抽象画的不思議さです。
雪舟展で実物を観た時、黒いタテ筋を確認してとても感激しました。
【雪舟の国宝】⑥山水図
・サイズ:縦118.0cm×横35.5cm
・素材:紙本墨画淡彩
・所蔵:個人蔵
・描いた時の雪舟の年齢:84〜85歳?
・賛者:若松周省・了庵桂悟賛
雪舟は、いつ・どこで・どのように
亡くなったのか不明とされています。
「山水図」の2人の賛の言葉が
雪舟の死を語っていることで
これが最後の作品であっただろうと
推測されているようです。
「牧松韻を遺して雪舟逝く、
天末の残涯に春夢驚く」
(了庵桂悟賛一部)
雪舟と若松が亡くなった後、
了庵桂悟が、残されたこの作品に
言葉を記したそうです。
この山水図では、年齢によるものか、雪舟岩の桁外れのパワーを感じることができません。
黒い線は何処へ?という感じです。
手前の山は線ではなく黒塗り、遠くのボワッとした山かげ。中央に立つ木もスーッと素直に真っ直ぐで、元気いっぱいカーヴィな雪舟ぽさがありません。
山肌には、黒い点々もないし、拍子抜けという感じはします。だけど、もっと長生きしていたら・・・線(パワー)からさらに進化した味のある作品を描いていたのかも?とそんなふうにも想像します。
【水墨画家・雪舟】代表作品|重要文化財
国宝以外にももちろん、素晴らしい作品がたくさんあります。
一部を紹介します。
【雪舟の重要文化財】益田兼堯像
・サイズ:縦82.8cm×横40.9cm
・素材:紙本着色
・所蔵:島根県「益田市立雪舟の郷記念館」
・描いた時の雪舟の年齢59歳
・賛者:竹心周鼎賛
この肖像画のモデルになっているのは
益田兼堯という石見(島根県)の武将です。
雪舟は、周防(山口県)の守護大名
大内正弘氏の庇護のもと、
画家活動に専念することができていました。
益田兼堯は、大内正弘と仲が良かったため
雪舟とも交流があったようです。
人物を描いた「慧可断臂図」とも違う上品で繊細なタッチです!
当時の肖像画がどのような状況で描かれたのかわかりませんが、写真もない時代ですから、おそらくお殿様を前にしてそのまま描いていった・・・のでしょうね?
このおぼろげなお顔を見る限りでは優しそうな雰囲気がしますが、絶対的な偉い方ですから緊張もするはず。(でも、お坊さんだから精神力も鍛えられていたのかもしれませんね)
雪舟が、揺るぎない観察力・デッサン力も持っていたのだ!と証明できる作品のような気がします。
【雪舟の重要文化財】「雪舟自画像」模本
・サイズ:縦59.3.cm×横28.4cm
・素材:絹本着色
・所蔵:大阪府「藤田美術館」
・賛者:青霞(中国の文人と推測される)
この自画像はもともと雪舟が71歳の時に
弟子の秋月等観に与えたものだそうです。
そしてこの作品は、その模本(模写者は不明)
とされています。
写真がない時代、絵は芸術としての
楽しみだけでなく、記録としての役割も
果たすものでした。
絵にはいろいろな情報が詰まっている為
模本といえどもこの絵はとても
貴重なものとされています。
こちらは模本ということなので、実際の雪舟の原画はどんなタッチだったのか想像するしかありませんが、人物も描ける確かなデッサン力があったとうかがえます。パワフルな山水画とはまた違う作風です。
水墨画家・雪舟について知りたいこと4つ
国宝を見た後は、雪舟がどんな人だったのか少し気になりますよね。
簡単にまとめてみましたので、順番に紹介します。
雪舟は①何をした人?(どんな人?)
雪舟って何が有名な人なんですか?
雪舟の本業は禅僧(お坊さん)であり、同時に水墨画家としても活躍しました。
昔のお坊さんにとって、詩や絵や書など、芸術的な分野を学ぶことも修行の一部とされていました。
雪舟も偉い僧(兼画家)のもとで修行し、同時に水墨画も学びました。
雪舟ってどんな人だったんだろ?
私が好きなエピソードがあります。
雪舟は、
酒を飲み
窓に向かって尺八を吹き
歌を歌ったのちに
筆を取り一気に絵を描いた
雪舟は禅僧です。
尺八は、禅の楽器だと言われているので、雪舟もたしなみとして吹けたのでしょうね。
お酒+楽器+歌=ネアカな人物を想像しませんか?
雪舟のパトロンであり当時の権力者だった大内氏や益田氏ともうまくやっていたようだし、たくさんの僧侶に賛(絵に書き加える言葉)をもらったりと、交友関係が広かったようです。
上下関係による仕事ということが大きかったとは思いますが、それでも社交的で人付き合いの良い人だったのではないでしょうか。
挫折をしたとかトラブルのような話はどこにも見つかりません。
亡くなったのは80歳を超えており、当時としては長寿です。
禅僧で家庭を持っていなかったので、孤独な最期かと思いきや、最後の作品のお軸にも、雪舟の死を悲しむ友人からの言葉が添えられています。
だんだんと私の頭には『雪舟=愛されキャラ』のイメージが浮かび上がってきました。
多くの人に慕われていた1人のお坊さんであり絵描きであったのではないでしょうか?
(これはあくまで私の想像です)
雪舟は②「いつの(どんな)時代」の人?
雪舟は1420年生まれ、亡くなったのはおそらく1506年とされています。
室町時代(1336年ー1573年)の人ということになります。
室町時代中期、足利義政によって京都の東山に銀閣寺が建てられました。
それ以降、能楽・茶・生花・水墨画・庭園・建築など様々な日本的な文化が新しく興ろうとした時代でした。
文化面では東山時代とも呼ばれます。
同時に、11年も続く応仁の乱で京都は焼け野原になり、激しい動乱の時代でもありました。
日本らしい芸術・文化が華々しく発展した「室町時代」
雪舟の③「作品の特徴」を知りたい
雪舟の作品は、ほとんどが山水を描いた風景画です。
中国へ行って本場の水墨画に影響を受け、画風が変わりました。
帰国後からメキメキと本領を発揮します。
国内でも海外でもいろんな画家の絵から模倣して学び、吸収してゆく中で、同時に自分の個性も表現した雪舟らしい作品を次々と生み出しました。
一方で、数は少ないものの精密な人物画や花鳥画も素晴らしく、さまざまなスタイルの絵を描ける才能があったと言えます。
・力強さ、スケールの大きさ
・デッサン力
・独特の構図センス
・個性が爆発
雪舟が④「涙でねずみを描いた話」ってどんな話?
ー今の岡山県総社市(おかやまけんそうじゃし)の宝福(ほうふく)寺という禅宗(ぜんしゅう)のお寺が舞台です。
禅僧になるため、幼くしてこの寺に入った少年(のちの雪舟)は、禅の修行はそっちのけで、好きな絵ばかり描いて日々を過ごしていました。
それに腹を立てた住職(じゅうしょく)は、ある朝、少年を本堂の柱に縛(しば)りつけてしまうのですが、少し可哀想(かわいそう)に思い、夕方になって、本堂を覗(のぞ)いてみることにしました。
すると、少年の足もとで一匹の大きな鼠(ねずみ)が動き回っているではありませんか。
少年が噛(か)まれては大変と思い、住職はそれを追い払おうとしましたが、不思議(ふしぎ)なことに鼠はいっこうに動く気配(けはい)がありません。それもそのはず、その鼠は生きた鼠ではなく、少年がこぼした涙を足の親指につけ、床に描いたものだったのです。
はじめ動いたようにみえたのは、鼠の姿がまるで本物のように生き生きととらえられていたからにほかなりません。
それ以後、住職は少年が絵を描くのをいましめることはけっしてありませんでした。
この話は、江戸(えど)時代の初め頃、狩野永納(かのうえいのう:1631~97)という画家が著(あら)わした『本朝画史(ほんちょうがし)』(日本の画家のプロフィールなどを記(しる)したもの)という本に初めて登場するものです。
(「京都国立博物館」博物館ディクショナリーより引用)
ファンタジック!
この伝説が広まって、雪舟は有名になったんだね!
画力に優れて・・などの説明なしに、自然に「絵の上手さ」を伝えることができるお話ですね。
雪舟についてじっくり紹介しているのはコチラ↓
【水墨画家・雪舟】まとめ
水墨画の世界は60歳でまだ赤ん坊だと言われるんですよ。
べべちゃんなんてまだまだ、かげ形もないですねぇ・・・w
それでは、また。
墨絵師のべべ・ロッカです。